タイトル:ABS21と私

嶋田さんご夫妻の場合:

ABS21のおしどり夫婦、嶋田ご夫妻は、インターネット・サロンや講演会だけでなく、料理、バスハイクなどの交流活動に、積極的に参加してくださっています。奥様の房野さんは、サロンのお茶係として、なくてはならない方です。

嶋田洋一さんは、2003年8月に発症しました。勤務先で、ろれつが回らなくなったことを自覚したのは、金曜日の夜だったそうです。帰宅して奥様に伝えたところ、「そんなことないわよ」とのことでしたが、気になるので月曜日朝に娘さんの車で病院に向かいました。行きは、自分で車に乗り込めたのに、病院に到着した時には、身体が言うことを聞かず、自力で下車することができず、車いすで、院内に搬入されたそうです。あれよあれよという間に、右半身のしびれを感じ、動かなくなっていきました。身をもって体験した「早期発見、早期治療の重要性」を脳血管障害の恐れのある人たちに、伝えたいと強く思っているそうです。

入院4ヶ月後、退院してからは、リハビリできる場所を探しました。区役所のリハビリ教室に通ったり、ラポールに通ったり、家でじっとしていることはなかったとのこと。そのような中、中途障害者地域活動センター「都筑 むつみ会」を紹介され、月曜日から金曜日まで通うようになりました。そこで覚えたパソコンの技術を、同区茅ヶ崎の老人施設で、初心者対象に教えるようになりました。現在では、他に3か所で、パソコン指導をしています。忘れたと言っては、同じことを何度も何度も繰り返して教えているうちに、知らず知らずに身についていって、利用者さんたちに喜んでいただけると、教える方の喜びとなって返ってくるそうです。むつみ会卒業と同時に、希望の会に入会し、現在は、会長職をしていらっしゃいます。病気の前後で、社会との関わり方が変ってしまったのは、「何もすることがなく、暇だからだろう」と、ご自分では、おっしゃっておられます。

病気で倒れるまでは、人づきあいを特にするわけではなく、会社と家の往復でしたが、現在は、毎日のようにスケジュールがいっぱいです。最近は、都筑区内の障害児・者連絡会の委員も務めるようになり、自分のことだけでなく、地域の障害者や障害児の親御さんたちと一緒に地域で暮らすためのまちづくりへの提案などをしています。

地域であちこちの役職を引き受けていらっしゃるため超ご多忙なのですが、「ABS21の運営委員は荷が重い」とおっしゃりつつも、名刺制作担当として、ご指導してくださっています。

(嶋田洋一・房野/ホームページ担当運営委員)

(文責:三竹)