銀河


  洋は電話のコールサインで目覚めた。
「ユリです。おはようございます。洋さん、これから出掛ける予定はありますか?」
 声の主は芝ユリだった。
 いきなりの朝の電話に、洋は戸惑ったが、
「ないです」
 と答えた。
「よかった。メロンをもらったので、これから届けます。道を教えてください」
 洋はユリに、この前別れた小さな踏切から、自分のアパートまでの道順を教えた。心が昂った。洋は受話器を置くと、慌てて布団を押入れにしまい、朝食もそこそこに掃除を始めた。梅雨の晴れ間の日差しがベランダに面した窓から降り注いでいる室内は明るい。中央に置かれた黒い座卓や、テレビや机、オーディオセットの所在が、洋の目にも見える。

 コーヒーを入れているところに、トントントントンと階段を駆け上がってくる靴音が聞こえた。
 ドアをノックする音。
「どうぞ」
 洋は、大きな声で応えた。
「お邪魔します」
 楽々園に現れるときと同じ溌剌とした声とともに、芝ユリは入ってきた。このとき、いつもは粗く疎らな部屋の空気が、柔らかく和むのを洋は感じた。
「これ、家から送ってきたメロンです。どうぞ食べてください」
 ユリは座卓の上にそれらしい物を置いた。
 洋はそれを手に取った。ウレタンの白いネットにくるまれたメロンはずっしりと重かった。
「おいしそうだな」
「五日間、冷蔵庫に入れておいてから食べてくださいね。それより早く食べちゃ駄目ですよ」
「五日間、じっと我慢ですね」
「我慢できますか?」
 そう言ってユリは軽く笑う。
「我慢します」
 と答えて、洋も笑った。
「ユリさん、今日はお出かけですか」
「ええ、ちょっと人に会う約束があって」
 ユリはいつになく澄ました感じで答えた。
 洋はユリにコーヒーをすすめた。
「ありがとうございます。明るくてきれいで、いい部屋ですね。私も卒業したら、こんな部屋に住めるかな」

 洋は、三年前、新築間もないこのアパートに越してきた。
「すぐ住めるようになりますよ。でも、勤め先に寮があれば別だけど」
「とんでもない、もう寮生活はたくさんです。狭い部屋に何人も寝泊まりして、ちっとも気が安まらないし、食事はひどいし」
 ユリはきっぱりと言った。
「どんな食事が出るの?」
「肉が一粒しか入っていない辛みのないカレーとか、ポリポリに乾いたアジの干物とか。悲惨でしょう」
 そう言ってユリはコロコロと笑った。
 それから何分ほど洋の部屋にいただろう。ユリは、コーヒーを飲み終えて間もなく、
「お邪魔しました。さよなら」
 と言い残して、部屋を出て行った。
 柔らかく和んでいた部屋の空気は、たちまち粗く疎らな普段のそれに戻った。

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