中央ヨーロッパ、音楽の旅

鶴巻 繁

 2012年3月10日から17日までの8日間、中央ヨーロッパを訪れて音楽を聴いてきました。ツアー参加者は私たち夫婦を含めて北海道から長崎・熊本までの全国から集まった16名の皆さん。行きも帰りもフランクフルトでのトランジットを入れて13時間前後の機内での缶詰め状態はかなり堪えましたが、ウィーンに3泊、プラハに1泊、ベルリンに2泊、機中2泊し、ウィーン、プラハ、ドレスデン、ベルリンを巡る8日間の、私の人生観が変わるほど大きなインパクトを受けた旅でした。
 まず最初に到着したのはウィーン! 私が長年夢見てきた、音楽の都ウィーンでした。10日からの3日間、コンツェルトハウスホテルに泊りました。10日夜は時差(8時間)ボケもあってルームサービスで軽食をとって早々にベッドに就き、翌11日朝、食事後ホテルを出てかみさんと散歩をしました。ホテルから歩いて1分もかからない所にウィーンコンツェルトハウス、その先に市立公園があり、ベートーベンやヨハン・シュトラウス、シューベルト、ブルックナー、詩人シラーなどの像が立っていました。公園内を歩いて行くと、鐘の音が聞こえ、その音に魅かれて行くと、鐘が鳴っていたのはシュテファン大聖堂でした。たまたま日曜日のミサがとり行われていて、パイプオルガンの音と賛美歌の歌声が聴こえ、2階のギャラリーで参観させてもらいました。パイプオルガンの響きと、ドイツ語で歌われる聖歌の歌声は心にしみ、私にウィーンにいることを実感させてくれました。

 11時からウィーン・コンツェルトハウスで聴いたセガン指揮ウィーンフィルのチャイコフスキーの「悲愴」は素晴らしかったです。ただ、エレーヌ・グリモーのブラームスのピアノ協奏曲第一番は荒っぽくていただけませんでしたが、まあそれはそれで。実はこのグリモーの演奏の後、私はコンツェルトハウスの中で迷子になってしまいました。トイレに入ったのですが、慌てていて出口が2つあることに気づかず、かみさんが外で待ってくれているドアとは別のドアから出てしまったのです。この結果、私は悲愴を当初の1階正面席ではなく、3階のバルコニー席で聴くことになりましたが、東京文化会館のバルコニー席とは違って、1階前列で聴くのと、3階バルコニー席で聴くのと、音楽に損色はありませんでした。悲愴には不似合いなほどウィーンフィルの明るくて華やかな音が、金箔をはりめぐらせ、シャンデリア輝くホールの隅々にまで響きわたりました。演奏終了後、 コンツェルトハウスの職員さんのサポートを受けて、かみさんとツアーの皆さんとも再会できて、ホテルでの昼食後、貸切バスで美術史美術館に向かいました。
 ウィーン美術史美術館は大きな美術館で、ハプスブルグ歴代の皇帝の肖像画や、フェルメール、クリムト、エゴンシーレの絵ほか膨大な数の絵が展示されていました。この折、ホテルからバスに同乗したTさんという女性のガイドさんの博識ぶりには敬服しました。かみさんの話によると、全く原稿やメモも見ずに、澱みなく観光史跡を案内し、美術館では陳列されている膨大な絵の解説をしてくれたのです。この夜は、もう一つオプションで、楽友協会ホール(ムジークフェライン)でアーノンクール指揮のヘンデルの宗教音楽が演奏されたのですが、身動きができないほど疲れていたため、惜しみつつキャンセルしました。

 翌12日、前日と同じくTさんの案内でハイリゲンシュタット、ベートーベンハウス、モーツアルトハウスと彼らが埋葬されている共同墓地をめぐって、昼食はグリーテンバイスというレストランでとりました。ツアー貸し切りになっていたここの一室には、モーツアルト、ベートーベン、シューベルト、ブラームスといった大作曲家たちのサインが壁に残されているということで、店主が誇らしげに紹介していましたが、添乗員のYさんの話では「真偽のほどは、ハハハハ」ということでした。
 食事の後、自由時間になり、日本でいえば銀座通りに当たるケルントナー通りの書店で息子から頼まれたウィーン限定版のベートーベンのソナタ全集、ショパンのバラードとノクターンの楽譜を買いました。かみさんの話では、ケルントナー通りは、建ち並ぶ建物はすべてほぼ5階建てのくすんだレンガ色に統一されていて、電柱は埋設され、街路にはタイルが張られ、落ち着いて調和のとれた素敵な街とのことでした。
 この夜は国立歌劇場で蝶々夫人を聴くことができました。何と用意されていた席が、2階最前列中央のロイヤルボックス席で、歌声の美しさとともに二重の感劇を味わったものです。JTBの添乗員のYさんは、6年間ベルリンで生活したことがあるという男性で、ホテル、コンサートチケットの手配から、バスのチャーター、観光ガイド、ベルリンでは美術館の作品ガイドまでこなすスーパーガイドさんで、この人なしでは今回の旅の思い出は語れないほどお世話になり、旅の後半、私は尊敬の念を込めて「プロフェッサーY」と呼んでいたほどです。うらやましいことに、彼は音楽ツアーのスペシャリストとして、毎月のように中央ヨーロッパを訪れているとのことでした。

 13日の朝8時半にコンツェルトハウスホテルを発ってプラハに向かいました。観光バスで中欧の田園地帯を走り、4時間ほどかけてプラハ城に到着。レストランで昼食をとった後、プラハ在住の日本人男性ガイドさんの案内でプラハ城からモルダウ河にかかるカレル橋、プラハ旧市内の観光をしました。触ると幸福になれるというカレル橋のヤン・ネポムツキー像の台座にも触れることができました。無事我が家に帰り着けたのも、このおかげかな?
 プラハは、おとぎの国のような雰囲気に満ちていて、プラハ城はじめ、教会の塔が建ち並び、モーツアルトが活躍した街で、歌劇ドン・ジョバンニを初演したエステート劇場がいまだに建っていたりします。それからさらに遡ること450年前、日本ではちょうど足利尊氏が征夷大将軍の地位に就いた1338年に建てられたという塔のある市庁舎の外壁にはカラクリ時計が設けられていて、正時ごとに十二使徒の人形とトランペットが姿を表して踊ったり音楽を奏でたりするとのことで、大勢の人が石畳の路上に立って上を見上げていました。街は観光客で溢れ、そこここで、英語、イタリア語、フランス語、ドイツ語、そして日本語と、ガイドの言葉が飛び交っていました。 夕方コリンティアホテルに着いて間もなく、タクシーでプラハ国立歌劇場に向かいました。待ちに待ったモーツアルトの『魔笛』の開演を待ちました。魔笛はテレビ放送やレバイン版のレーザーディスクで何度も聴いていて、私たちにとってはすっかりお馴染みのオペラで、パパゲーノや夜の女王のアリアは、いつ聴いても楽しいものです。用意してもらえた席はオケピットの真ん前で、パミーナ、パミーノ、パパゲーノ、パパゲーナ、夜の女王、ザラストロといった役の歌手たちの美しい歌声、コーラスとオーケストラの音が実によく聴こえました。これまたブラボー!でした。国と国民が無上の宝物として大事にし、何世代にもわたって守り歌い継いできた歌劇場であり、オペラでした。

 翌14日朝は9時にバスでホテルを発って、お隣の国ドイツに入り、まずドレスデンの再建された聖母教会を巡りました。ドレスデンは第二次大戦終盤、連合軍の猛爆撃を受けてすべてが瓦礫と化した街で、聖母教会は街の再建の象徴として、寄せられた多額の寄付金をもとに再建されたそうです。
 このときレストランで昼食をご一緒したNさんご夫妻は、夫君はNHKのアナウンサーをしていた方(現在企画ディレクター)、奥さんは何とワルシャワフィルとも共演したことのあるピアニストとのことでした。旅の間中、音楽の話やNHKのことなど、あれこれ話題は尽きず、長く話を交わせたことは幸いでした。この後ドレスデン美術館に立ち寄り、現地在住の日本人女性ガイドさんの案内と解説で、ラファエロ、レンブラント、ルーベンス、デューラー、フェルメールなどの絵を見て回りました。今回、添乗員のYさんはじめ、現地で活動しておられる男女3人のガイドさんにお世話になりましたが、いずれも言葉で詳細的確に絵の構図や色づかいを表現していて、目の不自由な私にも、それなりによく理解できました。まだ目が見えていた若き日に見た画集や、近年NHKで放送していた「迷宮美術館」を家族揃って見ていた(私は聞いていた)ことは、理解の足しになっていました。
 現地で生活している3人のガイドさんたちの一言も言い違えることのない滑らかな語り口には感動しました。ベルリンに着いた夜に食事をした日本食レストランのウェイトレスの皆さんも含めて、現地で働いている日本人の皆さんは、みな凛とした印象があり、日本で生活している私たちの、どこかしら甘えてもたれ合っている姿とは違う美しさを感じたものです。

 この後、6時過ぎ、いよいよ最終目的地のベルリンに入りました。ホテルはホテル「ベルリン」。この夜はかみさんと2人、エウロパセンターの日本食レストランで夕食をとりました。魚介類の鉄板焼きコースを頼みましたが、そのバラエティーの豊かさ、食材の豊富さ、味の多様さにおいて日本の食文化は世界最高ではないかというのが私たち夫婦の一致した意見です。申請中の日本料理が世界遺産に登録されるよう祈ります。この店でも、若い日本人の男女が何人も働いていました。かみさんの話では、このとき満員に近い店内にいた客は、私たち夫婦以外は皆さんヨーロッパの人たちらしいとのことでした。

 最終16日はまた朝から観光でした。大戦でソ連をはじめとする連合軍に破壊し尽くされ、1989年のベルリンの壁崩壊後、統一ドイツの首都として再生した街を観光バスで見て回りました。ベルリンフィルの拠点であるフィルハーモニーホール、ベルリン国立歌劇場、ポツダム広場、統一ベルリンノ象徴ブランデンブルグ門、そして史跡として保存されている「ベルリンの壁」、シャルロッテンブルグ宮殿、国会議事堂や政府庁舎が建ち並ぶウンター・デン・リンデン、ブランドショップが建ち並ぶクーダム通りを巡り、ドイツ料理に飽きた参加者の希望で中華レストランで昼食をとった後、ベルリン美術館に立ち寄り、Yさんの解説を聴きながら、デューラー、ブリューゲル、レンブラント、フェルメールといった画家たちの作品を見て回りました。

 この夜、いよいよこの旅最後のコンサート、フィルハーモニーホールでのズビン・メータ指揮ベルリンフィルのブルックナーの交響曲第8番を聴きました。まさに壮大な宇宙の創造と変転、宇宙をめぐる銀河、生まれては崩壊する無数の星のまたたきを感じさせる素晴らしい演奏で、いつしか私は涙を流していました。演奏終了後はスタンディングオーベーションが延々と続き、団員が引き揚げてしまってからも、メータさんが何度もステージに姿を見せて拍手と歓声に応えていました。本当に圧巻でした。

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