◇頭上のバトル◇
鶴巻 繁


 私が住んでいるのは横浜線小机駅から歩いて12、3分ほどの港北区鳥山町の 丘陵地帯で、町名に「鳥山」とあるように、昔は林と畑が続くいわゆる里山で、 多くの野鳥が住んでいたらしい。

 その名残か、我が町にはウグイスがいる。ウグイスは都会にはあまり生息して いない鳥だ。「ウグイス嬢」という言葉にあるように、人の掌に乗るほどの小さ な体で、この上なく大きく美しい声でさえずる。カラスの鳴き声もかなり大きい が、ウグイスにははるかに及ばない。私が住んでいる辺りは、ちょうど小さな盆 地のようになっていて、樹上に巣を構えているらしいウグイスの声は、遠くまで よく聞こえる。
 彼は、私が駅に向かう道の途中の、常緑の高木の上に巣を構えているらしく、 その下を通るとき、その声は実に美しく艶やかに聞こえた。そんなとき、私がさ さやかな幸福感を覚えつつ路上を歩いていることなど彼は知る由もなく、心ゆく まで歌っている。

 1987年、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートでヨハン・シュトラウ スの『春の声』を歌った、ソプラノのキャスリン・バトルの名唱を思い出す。カ ラヤンが逝く2年前、最後に指揮をとった伝説的なニューイヤーコンサートで、 全盛期のバトルの澄んだ歌声は、その容姿とともに世界中のファンを魅了した。 私もテレビの前で、思わず「ブラボー!」と叫んだのを覚えている。  そのキャスリン・バトルの歌声にも負けない、ウグイスの美声が聞けるのだ。 これを幸福と言わずにいられようか。

 私がこの町に越してきて10年になる。それからずっと、春から夏にかけてウグ イスのさえずりを聞いてきた。3月、まさに我が町に春の訪れを告げる声だ。  その声が、今年の3月頃に、まだ十分にはさえずれない、ぎごちないさえずり を聞いて以来、聞こえなくなってしまった。妻や子供たちは、「きっとカラスに 食べられちゃったんだ」と言っていた。心ない人が捕ってしまったのかとも思っ た。

 その原因はすぐにわかった。この4月、私が駅に向かう途中の、彼が巣を構え ていたらしい林の高木が、すべて切り払われていた。それでウグイスは巣を失っ てしまったのだ。心配は落胆に変わった。何ということだ、建売業者による環境 破壊だ。しかし私にはどうすることもできない。無力感を覚えつつ、春の声を惜 しんでいた。

 そのウグイスの声が戻ってきた。ある日、私が散歩に出ようと玄関を出ると、 あのなつかしい声が聞こえるではないか。一声、二声で終わってしまったが、確 かにウグイスのさえずりだった。私はうれしくなって、妻や子供たちにその話を した。どうやら彼は、これまでの巣を追われて、別の、これまでの我が家の北側 に位置する樹上から、西側の樹に巣を構えたらしい。その間、彼は、一生懸命巣 づくりに励んでいたのだろう。とても歌っている余裕はなかったのだ。それが、 ようやく新しい巣ができて、再び町の人々に、「僕は元気ですよ」と、美しい歌 のプレゼントをしてくれるようになった。
ブラボー!

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