ひとことメッセージ

●「障害者教育支援モデル」としてのABS21の活動 荒関 仁志
   ABS21を見学すると,まず驚かされるのは,そのにぎやかさ,その親しみやすい雰囲気です.このような「障害者支援モデル」は理想的ですが,それを実現するにはお互いの信頼関係が十分に確立されている必要があり,かつ支援が継続して行われることが重要な条件となります.ですから,多くの場合短期的な成功はあっても,ABS21のように10年もの長期に渡り,このような「相互の支援スタイル」が定着し,何の違和感もなく,自然に教育の場(雰囲気)が醸し出されるのは,それを支えているABS21の世話役やサポーターの皆さんの努力もさることながら,各人が障害を持たれている方への支援の在り方を十分に理解している結果であると感じました.このような理想に近い教育支援環境は,今後多く障害者支援団体でも取り入れるべきだと思います.
   最後になりましたが,今後もABS21の活動が今までと変わりなく継続され,多くの障害を持つ人たちの支えになることを陰ながら応援しています.(日本大学大学院総合社会情報研究科准教授)

●ウッチャンから落書き的「感謝の詞」 内田 知
   バリアフリーと言う言葉は、いつから使われるようになったんだろう。 そして、この言葉が生まれる前の時代、バリアフリーに変わる言葉はあったのだろうか。きっとあったのだろう。だが、ウッチャンには、その言葉は必要なかった。 五体満足で自分勝手に生きていた時代だった。
   今、白杖と人の優しさに支えられ生きている我が身の不自由さが作り出すバリアー。世間の不理解が作ったバリアー。そんな中で生きている。乗り越えなければならない、壊さなければならないバリアーがある事を知る。そして、バリアーを作らない未来にするために、努力している人達の存在を知る。
   ここ青葉に、その人達はいた。世間の差別や偏見の中、きびしくも優しい眼で、明日を見据えた活動をする人達がいた。10年にも及ぶ活動。何かと戦い、悩み苦悩した日々があったに違いない。この人達に、ウッチャンが勝手気ままに生きていた時代に、出会っていたら活動に参加していただろうか。心動かされても、身体は動かす事はできただろうか。五体満足のウッチャンであれば、逃げ出していただろう。そう想うほど厳しい日々。継続は力なりとは、簡単には言えない10年だったに違いない。
   そんな10年の中に、自分の「落書き的体験」が多少なりともABS21の活動の役に立てた日々があった事。ウッチャンにとって、それは大きな喜びであり、小さな誇りである。近くて遠い横須賀から、横浜青葉の地に今日までの10年へ、ありきたりの言葉だが、感謝をこめて、ありがとうと叫びたい。
   今日から明日へ。夢を希望へ。希望を現実へ。横浜は青葉の地は、人の優しさが、風のように流れる街だと、きっと言われるようになるだろう。ウッチャンは、そう信じたい。なぜなら、青葉バリアフリーサポート21が生まれた街だから・・・。(ふれあいML参加者)

●青葉バリアフリーサポート21設立10周年を祝して 岡崎 智美
   この度、青葉バリアフリーサポート21(以下、ABS21と略します)が設立より10周年を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。ABS21は、PCが普及し始めたばかりの頃からインターネットの有効性に着目し、それを生かしたバリアフリーの新しい関係性をつくってこられました。バリアフリーマップや、講演会、施設見学レポートなど、ホームページでの丁寧な記事を拝見いたしますと、皆様が力を合わせて取り組んでこられた様子が伺えます。何よりそのレポート一つひとつにあたたかな配慮が伺えますのは、障がいのある方もない方もこの活動に参画し、当事者としての目から必要なことをきめ細やかに実現してこられた背景があるからこそと思います。
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   当館は、横浜市青葉区の住宅街に位置し、男女共同参画センターとの複合施設内にある公共の美術施設です。これ迄に、障がいのある人の作品を紹介する展覧会や、障がいのある子どもも安心して参加できる造形スペースの運営、視覚に障がいがある人もない人も参加するワークショップや鑑賞会、障がいがある人が行きたいと思う美術館を共に考えるワークショップなど、様々な取り組みを行ってまいりました。
   初めてABS21にご連絡させていただいたのは、2008年春、駅から当館までの道のりを検証する「バリアフリー検証会」を開催した折でした。この会の成果として、蓋のない下水道に蓋が付き、途中で途切れていた点字ブロックが施設前まで延長されるなど、予想以上に早い問題解決につなげることができました。ABS21会員の方々のご協力に改めまして心よりお礼申し上げます。
   一般的に展覧会や講座、コンサートなど、障がいがある方たちにとってのサービスは行き届きにくくなりがちです。ABS21の皆様には今後も様々な場面でご活躍いただき、障がいのあるなしに関係なく、様々な人々が芸術文化を享受し、日々の生活を豊かに暮らせる社会の実現に向けて取り組みを続けていただきたいと願っております。私どもも微力ながら励んでまいりたいと思います。(公益財団法人横浜市芸術文化振興財団 横浜市民ギャラリーあざみ野 職員)

● 鏑木 克芳
   私が青葉区社協に勤務していた1999年、「ボランティアの講座があるなら、障がいのある人たちの研修をもっとやっていこう!」と当事者研修実行委員会が立ち上がり、コミュニケーションセミナーと自立生活セミナーを企画・運営してくれました。
   その実行委員の人と障がい者が、インターネットのコミュニケーションに強くバリアフリー感を持ち、発起人わずか3人だったと思うのですが、ABS21を2000年1月に立ち上げたと思います。それから代表の持つネットワークとインターネットで人脈はあれよあれよと広がり、「3年はかかるよ」と私は言っていたのに、8ヶ月たった9月にはホームページ「あおばバリアフリーサロン」を立ち上げてしまいました。
   当時かかわっていた私が感心したのは、出来上がるものがバリアフリーなのはもちろんですが、マップづくりも当事者のペースに合わせ、その作り上げる過程がまさに、バリアフリーだったことです。そして、移動が困難な人がその場所に行かなくても、ITなどを活用して一緒に汗を流せる魅力。
   これからも当事者が自分自身の生活を広げていく作業に、多くの人たちと一緒に汗を流せる活動を続けていけることを期待しています。(港北区社会福祉協議会)

●10周年によせて 北神 あきら
   ABS21さんが創立10周年を迎えられたことに対し、心からのお祝いを申し上げます。 実は私どもSPANも昨年11月に10周年となりました。ということは、ABS21さんとSPANは同い年ということになりますね。
   「10年」という時間は、生まれた赤ちゃんが小学校4年生になるわけで、ABS21さんにとって、その間にはさまざまな成長の過程があったのではないでしょうか。そして、そこにはメンバーのみなさんの情熱と努力の記録が刻まれていることでしょう。
   ABS21さんは、地域に根差したすばらしい活動をなさっており、その功績は大きいと思います。 次は、成人になる20年を目指してご一緒に歩んでいきましょう。(特定非営利活動法人 視覚障害者パソコンアシストネットワーク(SPAN))

●小玉 悦子
   だいぶ目が難くて不便ながら、私よりお若い三宮麻由子さんの講演を聞いてからはそのときの話を参考に励みに生きています。
   だいぶ あのやな メールのやり取りは つらかったです。(ふれあいMLのこと) だいぶわすれましたけど。兼折さんや 都筑・王子さんとかメール届きますか。
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   千葉県は菜の花 体操を 教えてくださった 伊豆のへんや 串本のダイバーの話しでクリスマスショーもあって 海の中にポストがある話も楽しかったし 物知りになりました。(ふれあいML参加者、小田原在住)

●酒井 利佳子
   ABS21の皆様、10周年おめでとうございます。私がABS21を初めて訪問したのは2006年ですので、あれから、もう4年が経ってしまったのですね。
   ABS21訪問のきっかけは米国で毎年開催されるCSUNという国際会議でABS21の三竹さんとお会いしたことでした。CSUNという会議では重度の障がいを持つ方々が、PCなどの情報機器を使いこなし、健常者に混じって、ごくあたりまえに新製品のデモや研究発表を行なっていました。
   私の仕事は工業製品のデザインですが、この光景を見たことがきっかけで自分が担当する製品はできるだけ多くの人が使えるようにしたいと考えるようになりました。 幸運にも今の日本では様々な情報機器が手に入ります。これらの多くははじめは誰もが使えるものではないかもしれません。しかしメーカーの努力やのようなボランティアの人々のサポート、そしてユーザの方々が発信する声やアイデアによって、少しずつ、より多くの人が使えるようにしていくことが可能です。
   これからの10年、みなさんの毎日をより豊かにする製品づくりを目指して日々努力を重ねて参りたいと考えておりますので、製品に対するご意見、ご感想などいただけますと大変励みになります。ABS21のサポートのもと、皆様がパソコンや情報機器をつかいこなし今後も様々な分野にてご活躍されることを期待しております。(キヤノン(株)総合デザインセンター)

● 「講演デビューの日」 白水 繁彦
   それは今からちょうど10年前、わたしが武蔵大学で2000年度の「総合特講」という授業を担当していたときの話です。わたしはこの授業のコーディネーターとして、社会のなかで「人知れず」重要な仕事をしている人ばかりを講師としてお招きしました。すなわちマジョリティのためではない、どちらかといえばマイノリティのための仕事をされているかたのお話を伺い、学生に社会のリアリティの一端を感じとってもらいたい、というのが私のもくろみでした。
   数ある講演のなかでも圧巻はABS21を立ち上げて間もない三竹さんと木庭袋さんによる「インターネットとボランティア」というテーマでの講演でした。学生たちが車椅子の木庭袋さんを校門から教室へお連れし、さらに壇上へ上げ、それからお話を聴く。お二人にとって大学での講演は初めてだし、決してまとまりのある話ではなかったのですが、なにしろ当事者による生の事例報告です。学生たちに大きな感銘を残しました。
   思うに、学生たちにとって、校内で車椅子を押している時点から「授業」が始っていたのですね。実践があって理論がある。私も大きな収穫を得た一日でした。(駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授)

●歩み続けて10年! これからも・・・ 曽田 秀樹
   障がいを持つ者達に サポートし続けて、10年と言う節目の時、会長他 サポーターの皆様、本当にありがとうございます、そして ご苦労様です。
   障がいの種別に関わらず、適切な指導、相談事の相手、色んな方々の講演、そして、年に2度のバスハイク、そうそう これも忘れてはいけません、管理されているパソコンのメンテナンス、HPの更新作業と、数え上げたらキリが無いのかも知れませんね! 月に2度のサロン時間の中では、会員のニーズに答えた御指導! イヤア、この時間が一番大切なのかも! 心温まるティータイム! 何事にも委員会を設け、会員の声を繁栄させる準備、伊達に10年を迎えてはいない。
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私たちは、このサロンに参加することで、社会との共生に参加できることの大きな喜びを感ぜずにはおられません。
   福祉施策の衰退を感じる中、ABS21の「自然な」障がい者とサポーターの関係をこれからも見せ続けて下さい。(都筑区視覚障害者 バリアフリーライフ協会会長)

●「ABS21の活動に参加させていただいて」 新田 克己
   ABS21が活動10周年を迎えられるとのこと、おめでとうございます。私がABS21の会合に参加させていただいたのは5年前ごろでした。当時、私は福祉工学や都市工学の先生方と、車椅子での移動の支援機能の開発の共同研究をしておりました。その研究を進めるため、ABS21の会合で研究の状況を説明させていただいたところ、非常に率直で厳しいご意見や、研究を進める上での肌理の細かな助言をいただき、大いに刺激を受けたことを思い出します。その後、ABS21の定例の会合で福祉機器の勉強や、青葉台駅周辺のバリアフリー情報の調査へ参加させていただき、研究以外の面でも充実した体験をさせていただきました。
   これらの経験で印象深かったことは、ABS21のスタッフの方々や参加されている方々が熱意を持って活動なさっていることです。この熱意があれば、これからの10年もまずますABS21が発展されることと確信しています。(東京工業大学大学院教授)

●服部 哲 10周年おめでとうございます!
   一度だけの訪問で感想や期待を述べるのは恐縮ですが、メンバーのみなさまがとても良い雰囲気でとても楽しそうに活動されていたことが印象的でした。外部のぼくが訪問したときも、誰もが気軽に話をしてくれて、とてもうれしかったです。また、中心メンバーのみなさまも他のメンバーの思いを大切にして、グループをうまくナビゲートしているように感じました。
   目の不自由な方も数多く参加しているそうなので、そういった方々の貴重な体験も積極的に取り入れて、今後も地域や社会に貢献されることを期待しています。(神奈川工科大学助教)
*注)2007年、ヒアリング結果をもとに論文をまとめられ、情報化支援活動の現状や意義を学会等で発表してくださいました。


●10周年のお祝い 平賀 一樹
   青葉バリアフリーサポート21(以下、ABS21)の10周年記念おめでとうございます。 ドコモがユニバーサルデザインに取り組むきっかけとなったのは、2003年に導入した障がいを持っている人向けの割引サービス「ハーティ割引」の導入でした。当時、誰もが障がいを持っている人達のことを知っているわけではなく、まさに関係者一同は手探り状態でした。
   そのような状況の中で、私は、料金を安くすればよいというものでなく、らくらくホンのような商品・音声入力などサービス、バリアフリーの店舗、教育された店員によるお客様応対など一貫してお客様に価値を提供し、その結果料金割引につなげながることがお客様からの支持される企業になりえると考えていました。
   私は、2003年より社会環境室という部署で働いていたためユニバーサルデザインの商品やサービス開発をやりやすくするため、2004年企業の社会的責任(CSR:Consumer Social Responsibility)の理念を策定し、企業として取り組みを強化することを経営層や社内に知ってもらうことにしました。
   理念を策定するにあたっては、ユニバーサルデザインについて知ることでした。色々な団体を探しているうちにABS21に行きつき、ヒアリング対象とさせていただきました。
     @ 障がいを持っている方、高齢者等への教育等を通じて自立支援を行う
     A インターネットや携帯電話など先進的な支援ツールを活用している
     B 企業等との協業により活動を行う
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   これら3つの特徴の視点から見たヒアリングを障がいのある方を含む5名にさせていただき、特に代表である三竹様からは的確なご意見・要望等をいただきドコモのCSR理念の参考させていただきました。ドコモのCSRの理念は表現こそ変わったものの、ABS21からいただいたご意見などは今でも引き継がれております。
   今後とも、クオリティ・オブ・ライフの実現のためにABS21の活動を続けていただければと思います。(NTTドコモ) 

●祝辞 南村 千里
   青葉バリアフリーサポート21、10周年誠におめでとうございます。
   発起人であり、運営委員の一人である三竹さんに、はじめてお会いしたのは、2002年6月に行われた、東京大学先端科学技術研究センターバリアフリー部門主催のシンポジウムでした。あれから私が仕事のために渡英したこともあり、対面の再会がなかなか叶わず、メールでのやりとりのみでした。
   そして、7年後の2009年11月の里帰りのときにさせていただいた青葉バリアフリーサポート21での講演で、三竹さんに再会しました。昔と変わらず、生き生きしておられたのが印象的でした。そして講演にいらしてくださった青葉バリアフリーサポート21の方々の対応の仕方、関わり方がユーモアを含め、とても温かく、強く伝わってきたのを今でも覚えています。そこには、年齢、障碍、性別などの個々の違いを受容し、お互いを尊重する、そして今まで培ってきた10年の年月の積み重ねが感じられました。
   このときに、障碍者対象の青葉区のマップを制作する活動をしているが、いつの間にか店が閉まったり、新しい建物が建ったりするから、その変更制作で忙しいとか、コンピューターを通して人々の新しい関わりを立ち上げたりしているなど、様々な活動状況を伺うことができました。
   社会の中で生きる私たちは、各々の立場に応じて役割が定められています。静かな発信ながらも、地域に根ざした活動が、私たちの意識や習性、そして生活を変えていきます。 振り返れば、昔に比べて、街中で手話で語る人や車椅子を活用して買い物をする人々などを、日常生活の一部として受け入れている私たちがいることに気付きます。 今後も変化していくことでしょう。
   この10周年を契機とし、更に一段のご飛躍を遂げられることをお祈りいたしております。(2009年度バリアフリー講演会 講師)

●安村 通晃
   青葉バリアフリーサポート21が、この度10周年を迎えられたとのこと、心よりお喜びを申し上げます。
   バリアフリー活動は、米国での先例を引くまでもなく、地域に根ざし地域と一体となった活動こそ望ましいものと考えます。まさにこのような活動を実践的に繰り広げられてきたABS21の皆さんに心よりの敬意を表します。会員仲間同士の支え合い、励まし合い、知恵と元気を提供し合った活動はまさに全国の同じような活動のお手本となってきたことでしょう。
   今後、さらなるITの発展やバリアフリーの実践的方法論の発達もあるでしょう。これらを踏まえた上で、こころとからだ、さらにはネットワークを含め、三位一体となった活動を今後も全国の先端を切って継続・発展されますよう、心よりお祈り申し上げます。(慶應義塾大学環境情報学部 教授、アクセス研究会代表)
*注)2000年3月にHP制作について、安村教授にご相談したところ、学生に声をかけていただき、当時1年の男子と3年の女子学生が参加してくれました。彼らは、HP制作会議に出席し、最初の枠組みを作ってくださいました。慶応大学のサイトをお借りして、6月から試行運用を始め、9月から公開しました。
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会員から

● 青柴 尚子   ABS21の10周年、おめでとうございます。
   2000年の夏に青葉区社会福祉協議会のチラシを見つけてPC講習会を受けました。が、しかし、私は、PCの世界は、無縁でした。講習会が終る時にABS21というPCサークルがあると、知りました。メンバーの方が、私のように物覚えの悪い者でも、メンバーの方が丁寧に教えて下さいます。10年たっても、PCの技術は、まだまだですが、これからも、よろしくお願いします。(ABS21ふれあいの会担当運営委員)

● 安部 勝好   ABS21 10周年おめでとうございます。
   私がABS21の活動にはじめて参加したのは2002年頃だったと思います。当時からすでにインターネットサロン、バリアフリーマップ、講演会を中心に活動してきたと思いますが、試行錯誤の段階から徐々に内容も充実してきたと思います。メンバーはそれなりに変動しているのですが、活動が継続できているのは、気負わずにやっていることと、ABS21の会員は参加者であり企画者であるというところかなぁ、と感じています。
   役員の誘導がうまいのか、会員になると単なる参加者ではいられず、なんとなく何かの企画メンバーに加わることになってしまいます。企画側の苦労がわかると他の企画に参加するときも企画する人の気持ちもわかるし、楽しさの敷居が下がって、結果として多くの活動が楽しめることにつながるのでないでしょうか。ABS21に参加してからのこれまでを振り返り、そんなことを思いました。
   私個人は、しばらく活動を休んでいますが、いずれまた活動のお手伝いがしたいと思っています。これからもよろしくお願いします。
   ABS21の活動が充実するようにお祈りします。(PCグループ担当運営委員)

● 入江 恭生
   私がABS21との関わりを持ったのは、2001年10月から、青葉視覚障害者福祉協会でパソコン教室のインストラクターをしていた時です。ABS21の方がPC機器の設定などの援助をしてくれました。
   私も視覚障害者になったバカリでしたが、システム関係の仕事をしていたこともありサロンで視覚障害者の音声でのパソコン利用のお手伝いが出来ればと考え、2002年8月に入会しました。以来、月2回のサロンには出来る限り出席、また微力ですが、運営委員としての活動に勤しんで参りましたが、もう8年がたちました。その間、個性豊かな方々との交流ができ、楽しく充実した日々となりました。
   これからのABS21の方向として、サロンでの視覚障害者のサポート体制の強化や生活の知恵などの講習会、及び親睦や交流会的な活動の拡大が出来れば、そしてもう少し活動する会員が増えれば、ABS21も更なる活性化が期待できるでしょう。(インターネットサロン視覚障害者サポート担当運営委員)

●abs21に思う(10周年記念) 王子 全主
   もう10年になるのですね。私がこのabs21の活動に関わった経緯は「緑区オンライン学級」のメンバーなどが中心になった神奈川情報ボランティアというメーリングリスト、年一回の総会で三竹さんにお会いしたのがきっかけです。当時身体障害者福祉にICTを使って支援が出来ないか?と活動をはじめていたプロップステーション、東京コロニーなど注目されていたところもありましたが、ここは仕事の出来る身体障害者養成講座のようなことをやっていました。そんな中、練馬区の方で「福祉パソコンの会」というグループと関わりをもっていました。身体障害者が主役、代表者、役員なども障害者。またITの習得が目的ではなく、コミュニケーションが先にといった活動が中心でした。そんな経験もあってabs21の活動に参加しました。
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   このグループのホームページの管理、メーリングリストの管理などを5年位?やっていましたが、次に引き受けてくれる人たちも出てきましたので最近ではご無沙汰気味です。abs21の良いところは身体障害者が主役、健常者はあくまで裏で支えること。これからも継続して行って欲しいと思います。10年間、特に立ち上げ当初の頃はいろいろ問題がありましたが、こんな経験はなかなか出来ないこと。次に繋げるチャンスを一杯得られたと思います。残念ながらメーリングリストを停止していますが、復活できると良いですね。今後の益々の発展を祈っています。(ウェブ管理人・運営委員)

● 大西 明宏
   ABS21の10周年,本当におめでとうございます。以前,バリアフリーマップ活動に参加しましたが,街の中にある普段は気付きにくいことが山ほど出てきたのは,参加型活動が実を結んでいる何よりの成果であり,その成果発信の手段としてのホームページ作成活動とリンクしていることに感心させられました。
   また、当時非常勤講師をしていた大学に三竹さんと栗木さんをお招きして講演していただいたことも印象深い出来事です。お二人の熱のこもったお話に,学生たちが目を見開いて聞き入っていた姿は今でも忘れることができません。今は参加していませんが,活動はホームページに遊びに行きたいと思います。
   皆さんの益々のご活躍を祈念しています。(元会員)

●岡島 寛
   2000年、パソコンのことは何も知らずにABS21に参加しましたが、まだまだ力量不足だと大いに感じています。多くの人と関わり合いができ、やり取りが出来る事を大きな喜びとしています。
   私は未だに未熟だと思っていますが数年来習い続けているのが朗読で、これだけはライフワークとしてやっていこうと思っています。近代文学館、横浜美術館等で発表会を行ってきましたが将来は小さくてもいいので、色んな所で色んな人に朗読を聞いてもらえればと思っています。(ABS21ふれあいの会担当運営委員)

● 鏑木 孝昭
   ABS21の10周年、おめでとうございます。当初数年は監事を仰せつかり、それまで経験がなかった障がい者の支援活動について勉強をさせていただきました。思い出深いのは、ABS21が発足した2000年の11月、「ボランティア国際年シンポジウムin かながわ」で三竹さんと「〜障害者の生活情報支援グループ「青葉バリアフリーサポート21」を事例として〜」と題して発表をさせていただいたことです。当時はまだインターネットがあまり普及していなくて、インターネット機能を使って活動を立ち上げた市民グループを紹介し、「市民からNPOへ」活動を伸長するためにインターネットがいかに使えるか、事例を持って共有する、という趣旨での発表に価値がありました。現在のインターネットの普及状況は、隔世の感があります。次の10年も、この10年のインターネットのように、ABS21の活動が広がることを期待しております。(元監事、HOSP!(持続可能なコミュニティを本気で作る大人たちの会)事務局長)

● 木庭袋 純
   青葉バリアフリーサポート21(ABS21)、設立10周年おめでとうございます。
   思えば1999年春頃より、三竹氏とメールで企画を練り始め、年末年始も返上で、PCに向かっていました。名称も、「青葉インターネット情報」など二転三転し、やっとABS21に落ち着きました。また、初めてのML開設やOS、ハードウエア修理など、PCスキルアップに奔走していました。 私は健常者と身障者の両面を体験し、その経験を生かせればと、ABS21の例会や大学での講演などにも参加させていただきました。突然の入院や諸般の事情で、会を離れることになってしまいましたが、地元での活動は継続しています。
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   あれから10年、交通機関などバリアフリー化が進み、外出しやすくなり、またITの発達で今や携帯電話やゲーム機でも気軽にネットに接続。TVでも当たり前のごとくURLや検索マークが表示され、もはやネットとともに生活する時代になりました。 その一方で操作や環境といった情報格差や、ネットにまつわるトラブルも多くなってきました。青葉区では地域のBBSやFM放送でコミュニケーションが活発になってきましたが、その内容はまだまだ健常者主体で、バリアフリーにはほど遠いのが現状です。
   この、今の時代こそABS21が求められていると思います。インターネットだけでなく、青葉区が真のバリアフリーになれるよう、これからの貴会の発展とご活躍を心より願っています。(元会員、発起人)

●ABS21のご発展を祈って 木村 茂
   私は退職後、何か地域に密着したことをしたいと思った。そして長浜医院の「健康、医療、環境を考える会」に顔を出し、ここで送迎ボランティア、その後デイサービス等のお手伝いをした。平成7年頃である。
   平成10年秋、社協に「福祉110番」が誕生しそのスタッフとなった。この仕事の中で「ABS21」と接触し、パソコンを使うという新しい方法に惹かれて仲間に入れてもらった。
   しかし、会計などのお手伝いはしたもののたいしたことは出来なく、最近はご無沙汰をして申し訳ないと思っている。ただ私としては今まであまり知らなかった障がいの方々の実情や、まわりの人々の対応に強い感銘を受けたが、同時にショックを受けたこともある。極端なケースであろうが障がいの方を世間に出すのを渋るような場面にも出会った。その頃に比べれば今は認識が大いに変わっているであろうが、関係する方々のご努力が大きいと思う。
   今、「ABS21」誕生10周年を祝福すると共に、パソコンと言う新しいメディアを使ったユニークな存在として今後とも一層の発展をされることを願うばかりである。 私自身はまた長浜先生のところで高齢者の住まいに関するお手伝いをしている。(元会計)

●ABS21との出会いと今! 栗木 正壽
   志半ばで脳血管疾患の後遺症で障害者となり、ショックと劣等感で、そんな自分を受け入れられず家に閉じこもりがちの生活をしていた2000年夏、青葉区社会福祉協議会が出した1枚のチラシに載っていたIT講習会に応募した。2日間にわたる講習会の終わりの挨拶で、「21世紀に向かって、障害の有無に拘わらず、誰もが安心して暮らせるまちづくりの活動をしましょう」と、三竹代表に呼びかけられ、その指に止まることになった。この目的を達成するためのバリアフリーマップ制作フィールドワークに参加した。入会したその頃は、車椅子の視点からのバリアフリー志向が強かった。しかし、車椅子にとってはバリアフリーでも、T字杖利用者にはバリアフリーではないケースもあることがわかり、自分とは異なる障害の人たちの不都合なところを理解し合う事が出来た。      
   「多目的トイレ」を調べていたのだが、ドア開閉時に、室内の照明が自動的に点灯・消灯するシステムだった。点灯するのが遅いので、「入る時に暗くて困るよね?」と視覚障害の方に尋ねた。その方いわく、「私たち見えない者には、暗いも明るいも関係ない」と。「そう言えばそうだな」と納得して、改めてその人の立場で考えることができた。
   障害者と一般の人たちの間にまだまだ隔たりがあった発足当初から、バリアフリーマップ制作というやり方で、街のバリアフリー・チェックをしてきて、地元のみな様との出会いを通して理解し合えることを実感している。社会参加への後押しをしてもらっていると思えるようになるにつれ、自分の意識がどんどん前向きに変わってきて、バリアフリーを促進する活動は、世直しにも「通じる」と自信をもつことができるようになってきた。 (副代表、バリアフリーマップ制作グループ担当)
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●青葉バリアフリーサポート10年間 剣木 成文
   10年前に区社協で三竹さんに会ってABS21の会の立ち上げから入会しました。 10年間いる間あまり手伝えなかったけど、インターネットとマップを勉強して嬉しかったし、マップを作成する為外に出て調べたり、バスハイクにいろいろ行って、そこのバリアフリーを調べたりとても楽しかったです。少しだけど僕たち障がい者のために役にたったのかなと思いました。
   この会をずーと続けてほしいと思ってます。これからも宜しくお願いします。(発起人)

●ABS21の10周年 おめでとうございます。 後藤悦子
   私は、発足の年の夏にABS21に出会い、10月に入会しました。
当時、青葉区での障害者対応のパソコン教室は珍しく、 インターネットサロンはいつも人がいっぱいであふれていたことを覚えています。 その一年後くらいに、青視協も社協にパソコンを買っていただき、 パソコンクラブを始めました。その頃、障害者対象のアミアミさんとか、 パソコン横丁などがスタートしたのではないかと思います。
   その頃、視覚障害者に音声対応の指導をしてくださる方が少なかったし、 パソコンの出し入れや片付けに時間も人も必要だったので、 いつもABS21の矢野睦男様にお願いしていました。 いつの間にか、青視協のクラブを解散して、 パソコンを習いたい人は、ABS21にお願いするようになりました。
   私はいまだにメールのやりとりくらいで 他は何もできないでいますが、 仲間たちは、教えていただいたおかげで、今では、ネットサーフィンや ホームページ作成などを楽しんでいます。
   バリアフリーマップ作りの街歩きをして、知らないお店や街の成り立ちや 危険な道路の場所などを覚えることができ、とっても勉強になります。 また、バスハイクも楽しみの一つで、仲間たちと交流しながら、 野外で社会勉強をしています。
   最近は、インターネットサロンのお茶タイムが楽しみです。 皆様とにぎやかにおしゃべりをして、いやなことも忘れ、 心洗われるサロンは、私にとってオアシスです。 良い仲間たちとのおしゃべりを長年にわたって続けられたのも、 教えて下さるボランティアの皆様と誰にでも優しい三竹さんのおかげです。 三竹さんのABS21を立ち上げた勇気 発足当初の困難を乗り越えた忍耐力、 そして、常に勉強しながら努力していらっしゃることに、頭が下がります。
   何かと気を配ってお世話してくださるスタッフの皆様にも恵まれて、 ほんとうにありがたく思っています。 家庭的な温かさがあふれるABS21を、 元気で頑張っていつまでも続けてくださいますよう こころから願っています。 (運営委員、青葉区視覚障害者福祉協会会長 )

● 小山 恭男
   10周年おめでとうございます。設立当初の会員であり、退職後あまり外出していなかった車椅子の私にとって、バリアフリーマップ制作フィールドワークが外出機会となり、仲間たちと一緒に街あるきすることは、とても楽しみだった。その後、センター北・南にバリアフリーの大型商業施設ができ、車ででかけ一人で楽しく外出できるようになった。ABS21のフィールドワークでは、障がいの無い人には気づかない段差や間口の広さなどの視点に注目させる機会になり有意義だったと思う。視覚障がいの人には健脚が多いので、車椅子につかまってもらって一緒に活動したのも楽しい思い出である。
   視覚障害者に地図の全容を示すことは無理なので、ウェブに掲載する際には、音声読み上げソフトを利用する人たちが聞いてよくわかるような表現を工夫する必要があると思う。(元監事、青葉区身体障害児・者団体連合会会長)

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●柴谷 知宏
   ABS21が地域の社会福祉においてIT化の先鞭を付けられたことは評価されるべき功績だと思います。これからの10年間はITの社会福祉化にぜひ取り組んでください。ITはまだまだバリアフリーとは言い難い状況です。これを地域連携で少しずつ良くしていける力がABS21にはあると思います。期待しておりますのでがんばって下さい。(ふれあいML管理人)

●10周年を迎えて 嶋田 房野
   スタッフの皆様にお世話になりましてありがとうございます。もう、3年位になるでしょうか。先輩会員の方に誘って頂きパソコンにふれる機会を与えて頂きました。覚えが悪くて忘れっぽくって、なかなか前に進まなくてサポーターの方々には、大変申し訳なく思っています。今年こそはもう少し頑張ります。
   最近では料理、バスハイク、講演、落語、読み聞かせ等など、楽しい事も増えて、おしゃべり、お茶、おやつ等で、土曜日の午後のひとときを、過ごさせて頂き幸せを感じています。
   今年は、どんな事に、出会えるかな?楽しみにしています。
   主人共々宜しくお願いいたします。

●ユニバーサルなサロンで3年 ヒゲ坊こと曽田 秀樹
   「もう 3年過ぎたのかなぁ!」ちょっと 当時を思い出しました。ハローワークの短期講座で初めて触ったパソコン、その教室も3ヶ月で終了。やっとメールができるかどうかでした。一緒に学んだ友人に「青葉区にはこんなサロンもあるよ」と、紹介されたのがABS21のパソコンサロンだったのです。色んな先生方もいらっしゃいますが、生徒も色々なんです。なんせ、個々にやってる事がばらばらなんですよね!そりゃぁ、統一講座も 多々あるにはあるのですが、文字通り「自由」を絵に描いたみたいなサロンなんですよねぇ!
   私はパソコンと言うツールに偶然に出会い、ひきこもりから抜け出し、言わば「第2の人生」の中にいるつもりです。視覚を失ってしまった事も忘れ、今できる事を今やっておこう。パソコンのサポートだけでなく、次々に出会う人から影響を受けながら・・・。
   私が人生の幕を下ろすときに 素晴らしき思い出のページを彩る人たちと共に!

●私とABS21 中鉢 征紀
   私たち障害者は、ABS21にうんと大きな大恩を感じます!この世で『絶対必要』な世界一の立派な団体です。なぜならば、私は、自分のホームページを持つことができ、日本全国の人たちに見ていただくことができ、感謝しています。ほんとうにABS21は大事な活動をしてくれて、嬉しいです。ありがとうございます!!!(中国戦地―戦死者・盲人障害遺児)

●ツネ蔵♪
   ABS21は居心地がいいです。その時々の自分の事情により、出かけてみたり休んでみたりしながらも、会費を納めここに籍を置き続けているのは、その居心地の良さからだと思います。ここでは、ほかの人が自分とは違う目的や違う興味を持ち、各々が違うことをやっているということを、誰もが特に意識しないくらいにあたり前に思って認め合っています。そうでありながら、みんなで何かをしているという緩やかなまとまりや所属意識があります。勿論、これは親身になって教えてくださる先生方のお力の上に成り立っているものですが…。
   だからここでは自分のペースを守れるし、疑問を口にしやすく、素直に教えを乞いやすく、発想が大切にされやすいのだと思います。これからも、こういう自由で柔軟な集団であり続けてほしいと願っています。
13-10

●10周年に寄せて 鶴巻 繁
   10周年おめでとうございます。私がABS21にかかわらせていただいたのは、2003年春からだったと思います。あれから6年、青葉区にしっかり根づいて、地道な活動を続けておられることに敬意を表します。特に称えられるべきは、障害者と健常者が対等の立場で会を形成し、バリアフリーマップ作成、インターネットサロンやバスハイク等の事業に励んでおられることです。 皆さんごく自然に手を取り合い、助け合い、会務を担っておられる姿は、まちのユニバーサルデザイン化とノーマライゼーションを渇望している私たち障害者にとって、たどり着くべき社会の姿そのものであると思います。
   今後さらに、会則第3条の(目的)の実現に向けて、末永く活動していかれることを期待しています。(横浜市視覚障害者福祉協会会長)
*注)会則(目的)   第3条 本会は横浜市青葉区およびその周辺地域が、障害がある人もない人も、安心して暮らせるように、お互いに個性を尊重し、不足を補い支え合っていくことによって、こころのバリアフリーの街づくりを実現していくことを目指している。そのために、コミュニケーション手段としてのパソコンやITの積極的な活用により、障害のあるひとたちの自立と社会参加を促進する活動を展開していくことを目的とする。


● 長宗キミヨ
   平成20年に第2回料理教室で、作って食べて楽しんで以来、今年はイベントと重なり折り合いがつかず、料理教室を開くことが出来ませんでした。
   しかし、サロン、マップと皆様と活動が出来、沢山の思い出と出会いをいただきました。食と健康は、一生に関わることですの、来年度は皆さまが参加できる料理教室や、食事の献立、栄養のバランスなどなど、食に関する会を実現できたらと願っております。 (運営委員、「卵の黄身よ」代表)

● 松浦 日出夫
   10周年おめでとうございます。 私がABS21のサロンに数回ほど参加して、5周年の時に正式会員となりました。月日は早いものですね。以来、サポーターの方々にいろいろ教えて頂き感謝しております。ありがとうございました。
   バスハイクや講演会などに参加させていただき勉強になり励みとなりました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

●勇気をだして社会と交わる勇気を! 三井 義輝
   ABS21が、10周念とのこと。おめでとうございます。私も、講演、バスハイクなどに参加させて頂き、多くのハンデを持つ方々と接し、交流し、勉強し、私なりに人間形成に励む契機とさせて頂きました。ありがとうの一言です。
   昨年から、町会、社協の会員にもなり、広報誌などに原稿を掲載させて頂いたり、役員さんと交流させて頂くようにしています。町会、民生委員さん達は、大地震などのときは、ドアを壊しても安否を確かめ、リヤカーで避難をさせると言ってくれています。ありがたいことです。
   勇気をだして社会と交わる勇気。このことも、ABS21での教訓だと、感謝しています。ABS21は、全盲の闇に、一つの光明を与えてくれました。そう、寒い冬の中に、咲く梅の花のようです。
   「梅一輪一輪ほどの 暖かさ」。
   今後の活動をつうじ、花を一輪ずつ増やして頂くことを、ご期待申し上げます。

13-11

●矢野 明
   ABS21の10周年おめでとうございます。 定年前のご奉公で海外赴任から帰国し、IT化支援に関心が強かった私は、三竹代表と同窓という縁もあって、発足当初から、HPやバリアフリー・マップ制作活動に、参加しました。
   その後、鶴見区のITサポート団体の立ち上げに参加し、地元の活動にシフトしていきましたが、この領域の先鞭をつけ、モデルとなったABS21が10周年にわたり意義ある活動を継続していることに、感慨深いものがあります。
   私自身は、数年前に身体障害者となり、認知症もひどくなってきていますが、このような人たちの地域での社会参加を応援するABS21が今後も、様々な創意工夫で発展を続けるよう祈っています。(元バリアフリーマップ制作グループ・リーダー)

● 山野 裕
   ABS21十周年おめでとうございます。継続して地域の障害者のサポートをされているのは大変素晴らしいことですね。
   私がABS21と関わったのは2003年頃中心のほんの一時期でした。その少し前から全国視覚障害者インターネット接続支援連絡会(略称ASV)の会員として、視覚障害者がWindowsパソコンを音声読み上げソフトを使用してキーボードで操作するのを手伝っていました。ABS21ではインアターネットサロンでお手伝いしたり、サポーター要請講座の講師を務めたりしました。音声読み上げソフトは特殊なので勉強しながら手伝っていたのを思い出します。その後忙しくなり、会員は継続していましたがほとんど活動に参加できなく、ただメーリングリストで皆さんの活発な活動を読んで感心するだけの会員でした。
   今後のご盛会を祈念します。

● 渡邊栄造
   10周年おめでとうございます。早いものですね。永い間大変お世話になりました。お陰さまでPCを楽しみながら過ごさせていただいた横浜での暮らしでした。
   ここ有料介護施設に来て丁度1年が過ぎました。昨年は老々介護の一年でしたが意を決して施設に移り落ちついた日々を送れるようになりました。
   これからも一日一日を大事にしてすごしていこうと思います。 テレビで見た顔を描いてみましたので添付します。

● わたり
   私は、今年の8月にABS21のインターネットサロンに参加しました。そのとき緊張していた私を、優しく受け入れてくださった皆さんのことを よく覚えています。そして、もっと色々な障害についてのことを学び、考えたいと思いました。また自信をもって生活している皆さんとお話しするのはとても楽しかったです。
   それから3ヶ月間、皆さんの投稿するメールを読ませていただき、行動範囲が広いことにとても驚きました。私ももっといろんなところにいき、いろんな本をよみ、自分の意見をしっかり言えるようになりたいです。また、皆さんのように自信を持って生活したいとおもうようになりました。
   3ヶ月間という短い間でしたがありがとうございました。(2009年ボランティア体験実習生)
13-12



● 「10年後のABS21を考えるワークショップ・メモ」

10年後のABS21を考える
13-13