ホームページ(HP)制作グループ

文責:三竹
活動日 :随時
活動場所:
  ふれあい青葉2階 団体交流室他
   このHPは、「あおばバリアフリーサロン」といい青葉区社協との共催事業で企画・運営・管理している公共空間の名称です。


   当初、このHPにABS21独自の活動内容も掲載していたので、組織の名称とみなされがちでした。そこで、社協共催事業としてのHPと団体のHPの二本立てにしました(2001年)。
   このHPの企画・運営の大きな特徴は、リレー形式のチームワークでとりくむこと、そして、ユニバーサルデザインのHPづくりを目指し、視覚障害や肢体不自由の会員からユーザーとして生の意見を反映して、改善を図ることです。原稿作成、写真撮影、HTML化作業、ユーザビリティ・チェック、ウェブ管理のように作業を分担し、自分のできる仕事を請負います。



   ABS21のホームページは、パソコン、インターネットに詳しい、詳しくないに関わらず、会員がお互いの知恵を出し合って制作しています。だから、ページひとつひとつが会員の作品なのです。
   私は、ホームページは、ページのカタチが決まっていて、イメージも均一なものに仕上げるのが当たり前だと思っていました。でもABS21のホームページを見て、ページごとに個性があふれているのを目の当たりにし、こういうホームページって素敵だなと思いました。今後も、会員同士で知恵を出し合い、スキルアップやホームページ制作をしていけるよう勉強会等を開催していきます。
(2008年以降HPリーダー 田中美穂 記)
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   事務局機能も兼ねているので、2002年にスケジュール表を設置し、活動を公開しましたが、非会員が対面活動に飛び入り参加して、不都合が起きたため、2003年に、詳細の公開は中止しました。会員限定の掲示板「障害別情報交流室」は利用者がほとんどなく、2001年に閉鎖しました。自由登録制の掲示板「バリアフリー情報広場」は、迷惑投稿の消去に追われ、
   ABS21のHPを前管理人の王子さんから引き継いで数年、大きなトラブルもなく推移したことに感謝してます。新しいソフトの導入などは副管理人の王子さんに任せ、もっぱらファイル管理に徹しています。HPの目的は新しい情報の広報と言う一点に絞りABS21の行事かかわるニュースを少しでも早く掲載するように努めています。2009年6月にレンタルサーバーの容量も無償で2GBにアップされました。現在の使用量は247MBです、まだまだ容量に余裕があります。みなさまの積極的な投稿をお待ちしています。HTML(HP用の言語)で書かれてなくても結構です。ワード、メール、デジカメ写真何でも結構、新しい情報の提供をお待ちしています。
(正管理人 矢野睦男 記)
2005年、スタッフ登録制に変更しました。ふれあいMLと称した誰でも参加できる理想郷を絵に書いたようなMLは、活発すぎてアラシになり、管理人が誹謗中傷される事態となり、2007年に「設置当初の目的は、達成した」として、閉鎖しました。
   スタート時は、ボランティア活動ならではの無限の可能性を秘めた発想で、現実化してきたのですが、前述のように、対面活動を伴わない場合は、運用面で難しい面もありました。しかし、対面重視の会員間の情報共有やコミュニケーション活動では、視覚障害者や、ITにそれほど精通していない会員にも、一番容易く有効活用できるのはMLだということが明らかになり、主たるツールとなっています。また、紙媒体の削減を方針としていますので、HPを活動記録の共有の場として捉え、一旦掲載したコンテンツは、アーカイブとしてできるだけ保存しています

2000年<スタッフ15名+助っ人大学生2名>
   発足当時、「障害者のための地域情報を発信するHPを皆でつくりたい」という思いで、HP作成依頼を業者に見積もり依頼すると「コンテンツは?」と尋ねられました。「コンテンツの分量がわからないのに見積もりはだせない」というのです。ABS21では、作るプロセスを主たる活動内容としていたので、中身は何もなく、すべて、これから収集して発信する予定でした。コンテンツの入れ物としてのHPを作ってほしいと言うと、「制作の順序が違う。本末転倒だ」とまで言われて、気落ちしました。
   2000年早春、慶応大学SFCの学生の参加を契機に、会員のニーズの聞き取りから、会員制の障害者用の掲示板や情報提供のための掲示板などの「枠組み」をつくり、6月から試行運用を開始し、その年の9月から公開することができました。当時は、平塚・茅ヶ崎・名古屋など遠方の方々が、尽力してくださいました。以下が最初の枠組みです。
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2001年<スタッフ21名>
  1. コンテンツをダイレクトにUPできる「耳より情報」を設置しました。自由登録制。
  2. 「障害福祉のあんない2000」(抜粋)の修正作業をしました。記載事項の漏れの修正と各見出しの表現方法を統一しました。音声読み上げの際、表の内容が聞いてわかる読み方を研究し、この方法をソースに取り入れる作業に取り組みました。★視覚障害者のためのHP制作作業で、肢体不自由スタッフの視力が低下してしまったという伝説があります。
  3. 「あおばバリアフリーサロン」と当会専用HPの二本立てに編成し直し、立ち上げ当初のHPは削除しました。
  4. ファイル構成を整理し、階層を浅くし、第3階層までにしました。
  5. パスワードを要する掲示板を廃止しました。
  6. HP作成ソフトを採用し、オルト属性で対応しました。必要な場所だけ視覚障害者用に記述方法を分けました。ただし、フレームつきの画面構成は、音声認識する際、非常に複雑なので不採用としました。
  7. 「おしゃべりML」の複数管理人運営体制を見直し、正副2名体制に移行しました。管理人は、独自の判断基準をもてるよう、役員と兼務しないことにしました。
2002年:<スタッフ22名>
  1. トップページを大幅にリニューアルしました。
  2. 「チャット」、「スケジュール表」、「インデックス型HP内検索」、「自己紹介の部屋」、「もぐらたたき」の開発・設置、維持管理をしました。
  3. マップのテキスト版を掲載しました。
  4. 「ふれあいサロンML」新規立ち上げと管理体制見直しをしました。
  5. スタッフ勉強会:「ホームページの基礎(HTML言語)」2003年1月より毎月2回実施、矢野睦男講師、参加者8名。
2003年<スタッフ22名>
サクサクビルダー勉強会
  1. 「ふれあい体験談コーナー」「サロン事例集」「ブログ」を創設しました。
  2. スタッフ勉強会:「ホームページの基礎(HTML言語)」2003年4月〜9月の月2回 矢野睦男講師 スタッフ総数22名。
   (1).「ふれあい体験談」
中途視覚障害者が、各々の持ち味で体験談を描いた随筆やノンフィクションが大好評で、同じ境遇の仲間たちの支持を得ました。ユーモアあふれる話や、誠実な人柄がにじみ出る作品に対し、障害の有無を超えて共感を得、発表の場を得た著者は、続々に投稿しました。投稿をきっかけに、その生きざまに声援を送る人々の存在を知り、自分が社会貢献していることに気づき、自信を持つことができました。障害理解には、障害者の本音の部分を適切に表現できる文章表現力のある人たちの存在が重要だということがわかりました。
   (2).「ふれあいML」
利用規定を逸脱する投稿があり、一時中断しましたが、管理人と運営委員会が規則遵守の方針による連携プレーで沈静化しました。電話での区社協へのクレームに対し、職員が適切に対応したため、当人は反省し、その後も引き続き、その場を拠り所として参加しています。
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2004年<スタッフ27名>
  1. 10月4日トップページを全面的に更新しました。
  2. blogの設置をしました。
  3. 「チャットルーム」の更新をしました。チャット開催3回。
  4. アクセシビリティ管理担当の設置をしました。
  5. 「耳より情報」の登録・整理をしました。
  6. 赤外線音声情報案内システム体験会を開催しました。参加者26名(会員外も含む)
  7. ブログ勉強会を開催しました。参加者26名
  8. 施設訪問取材をしました。8箇所、参加者9名
  9. 「ジグソーパズル」「お絵かき掲示板」の設置をしました。

 

2005年<スタッフ28名>
  1. 「全国版バリアフリーマップ」(ABS21推奨マップのリンク集)を掲載しました。
  2. Notaを設置しました。
  3. アクセシビリティ・チェック会議の開催(6月24日、9月24日、10月8日)および、ウェブ・アクセシビリティ・チェックを実施しました。
  4. 「耳寄り情報」への自由登録を廃止し、HPスタッフ登録に変更しました。

 
2006年<スタッフ32名>
ふれあいML参加者の投稿原稿によるページを創設しました

 
2007年<スタッフ31名>
  1. 全国マップデータの更新をしました。
  2. 「共生社会への理解のために」を新設しました。
  3. 2000年より続いていた「ふれあいML」については、インターネットを活用したバリアフリーなおしゃべり空間の創設という初期の目的を達したため、閉鎖しました。
<あおばバリアフリーサロンのHP制作に関わって>私がABS21に参加したのは2002年で、当時にはまだ珍しい「ホームページのバリアフリー化」の仕事を始めた頃、メンバーの安江さんと知り合い、一緒に参加させてもらったことがきっかけでした。自己紹介の際、三竹代表の目がキラッと輝いたのを今でも覚えています。出会うべくして出会ったのだと思いました。その後、サロンのホームページをバリアフリー化する機会を与えていただき、フルCSSの手法を使い、視覚障害の方にも閲覧しやすいよう配慮しました。私のWEB制作者としての原点がここにあると思っています。
(アクセシビリティ管理人 羽川順子 記)

 
2008年<スタッフ25名>
スタッフが各自の役割・技術の範囲内で作業し、アドバイスも得ながら、最終工程に至るまでチームワークで作業しました。青葉区周辺地域の福祉施設・団体紹介について、紹介から時間が大幅に経過していた施設に訪問し、情報の更新を行いました。 ・全国マップデータの更新をしました。 ・「耳より情報」掲示板は、投稿数が減少していること、インターネットが普及し、個人で情報検索をすることが容易になったこと等の理由から役割を終えたと判断し、閉鎖しました。
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